どうもどうもいやどうも、いつぞやいろいろこのたびはまた、
かねてよりの悲願でもあった虹の会アート部門、満を時しての始動といふことでありまして、
この芸術を全世界に向け発射するべく 時はきた、故にこの場を設けさせていただきました。アートでございます。
こちらに人知れず投稿しておりますのは、栗山(仮)こと、どうもわたしです。
かつては美大で舞台美術を学んでおりました。
近頃ますますとアウトサイダーアート、アートブリュットが注目されてはおりますが、いまに人知れることとなる、この市丸たちの絵をまあまあひとつまあひとつみてほしいのです。
私は、彼らの感性には毎度驚き、脱帽してしまうのですが、
彼らはただただ極限的に「ぼうぜん」としているように感じるのです。純粋で素朴な童心溢れんばかりの感性でもってただ「ぼうぜん」とですね。
芸術的天才の上位には、聖(セイント)という此の世の規則とは全く性質の異なったクラスがあるとききます。
それらは無邪気で無責任。しかしながら芸術ってのは一種の放蕩に他ならないのである。彼らのこの「ぼうぜん」というのは「聖」(セイント)なんじゃないだろうか。彼らの作品は体裁、情緒、倫理などを一切取り払ったダンディズムであり、知識に汚されていない、本能からほとばしる表現なのだと思うわけです。
市丸たちの絵はもう素晴らしいほどに聖(セイント)で、どうしてこう、こうなっちまうんだ!と。もしわたしが江戸っ子だったら、「てえへんでえ!てえへんでえ!」って町中走ってますよ。どうなるかわかったもんじゃない。
早く世の中に出してみんなに見せたいという思いはつのるばかりでありました。
この場は、その募る思いの第一歩なのであります。
つまりはわたしは、わたしたちは、歴史が生まれる瞬間に直面しているわけですね。
俺は今、伝説の中にいる!
まさしくこれ、人類の星の時間であります。この星のきらめきを皆でおいしく味わっていこうではありませんか。
そんなわけでなにぶんよろしくおねがいします。
私からは以上ですが、以下、我らが誇るアーティスト作品をどうぞご覧ください。
Atsuhiro Ichimaru
Atsushi Kobayashi
Ko-hei Matsumoto
Mitsuhiro Ozawa
Akiyoshi Ogura
Kai Kubo
Yu-zi Tsunoda
Yo-ko Yamaguchi
Takanobu Kobayashi
Masakuni Inoue
お分かりいただけたでしょうか。
それぞれの個性が、巨体と巨体とが、合間見えるこの土俵で感性のぶつかり稽古。
ああどうりで、衝撃で、目が覚めたら全裸になってしまうようなこの身ぶるい…。
生まれたてのわたしたち。芸術の前では皆 赤ん坊なのです。
岡本太郎は新聞に「絵画の石器時代は終わった。新しい芸術は岡本太郎から始まる」という宣言を発表し、当時の日本美術界に挑戦状を叩きつけたという。
ならば敢えて言おう、「新しい芸術は虹の会から始まる」!
どデカいのが好きです。
栗山(仮)
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