昨年4月15日に母が亡くなって、昨日の13日は一周忌の法要をしました。
実家の菩提寺でお経をあげてもらい、お墓参りをして、母に「見守っていてね」と祈りました。
私の息子たちと家族、妹の家族、おじさんたち、いとこたちと、普段は滅多に顔を合わせることのない親戚が集まり、故人を偲び、食事を共にするときを過ごしました。母の兄弟も高齢となり、いとこの出番。父の兄弟姉妹もなかなか連絡がとれず、数少ないいとこと対面でした。
家族・親族のつながりって、不思議な流れだな~と感じましたね。一方で途切れ、一方で新たな家族が作り出される。
生と死。「故人のために祈ることが、私たちが明日から元気に過ごしていける施しを故人から受けているのです」といった趣旨のことをお坊さんが挨拶でおっしゃってました。
私は無宗教なのですが、その言葉が胸にストンと落ちました。
明日が母の命日です。
昨年、危篤状態の続く中、少しでも長く生きてほしい、せめて私の誕生日(母が私を産んだ日)を超えてほしいと願って、一日超えてくれた(と思える)日です。
亡くなる直前、ずっと閉じていた瞼をあけ、あたりを見ているようでした。それからすぅ~と息を引き取って…。不思議でした 。お別れをしているみたいで。
今日は私の66歳の誕生日。
春の季節に生まれてよかった~。
昨日の母のお墓への道すがら見とれていたのは、黄色の菜の花。川の土手一面に敷き詰められていて、皆で感嘆でした。そしてチューリップも、色とりどりに咲いていて、きれいだな~と。
感じる心を大事にしたいですね。
いつも元気に、私らしく、いろんな人たちへのラブコールを心でしながら、自分の歩み(現在は議員・議会活動がほとんどなのではありますが)を進めていきます。