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■2007年1月26日【介護の不安をなくし、高齢者が元気なまちをつくる】

▼母の老後

私の母は大正12年(1923年)生まれで、今年の11月15日で満83歳になった。26年前に父が亡くなり、以降、母は一人で実家で暮らしてきた。歩くこと動くことが好きだったので足腰は丈夫だし、りんごのほっぺは艶やかで、内臓も丈夫だ。だから、好奇心旺盛な母は、一人暮らしでも平気だろうと、娘の私は楽観していた。しかし、80歳を前後して手指のリウマチの治療や、畑仕事中に右指を骨折したり、手術後のリハビリ中に療法士に右指を骨折させられたりと、入退院を繰り返し、結局、退院しても家で一人住まいはできない、とケアハウスに入居することになった。

ケアハウスは実家の近くにあり、親戚の家々からは近い所なのだが、私の家からは遠くなってしまった。車で片道3時間弱はかかる。50人定員のケアハウスでは、お風呂が週2回、食堂があって、栄養士さんがバランスのとれた献立を立て、食事ができる。陶芸や歌などのサークルがあったり、季節ごとの行事があったりと、人との交わりがケアハウス内でできる。部屋は8畳ほどの個室で、トイレ、洗面室、小さいキッチンもついているので、食事やおやつ、入浴などの決まった時間以外は、自分の都合で生活できる。

ケアハウスは、介護施設ではない。自力で生活できるが、日常生活上の困難さへのサポートも受けられる、60歳以上の人が入居する軽費老人ホームだ。介護度2くらいまでなら入れるらしい。ここで暮らしながら、介護保険のヘルパーを頼むことができる。母の場合は週3回ヘルパーに来てもらい、入浴介助と部屋の掃除を頼んでいる。

母がケアハウス内での生活にも慣れ、楽しみながら暮らしているなぁと安心していたのだが、ベッド上で指を再度骨折し、入院。ようやく退院して、やれやれと思っていた頃、車に轢かれてしまった。今年の8月だった。いち時、生命の危険があり、私と妹は10日間、病院に泊り込んだ。命の保証は半々と言われながら、持ち直し、3ヶ月で退院した(させられた)。骨盤と恥骨の骨折は治っても、今度は左指までが不自由になってしまった。

ケアハウスに戻って生活できるかどうかで、病院の医師や療法士、ケアマネージャー、ケアハウスの職員と話し合いを持った。ケアハウスは自立が建前だから、恒常的な介護が必要な場合は、入居を続けることはできない。以前は、背筋をしゃんと伸ばして歩いていた母だが、事故後は前かがみになり、どこかにつかまりながらの、そろそろ歩き。病院側は、もう自力で生活できますと言うが、ボタンをはめるのも四苦八苦しながら、ようやく一つボタンをはめる。トイレ後にズボンを上げるにも少しずつ少しずつ上にずり上げる。母の介護度は2になった。日常生活上の行動に不自由さを増したが、現在ケアハウスでの生活をまた始めている。身体が老いるとは、どういうことだろうか。

母の場合、事故による身体機能のダメージが大きいのだが、これから老いていくにしたがい、さらに身体は不自由になっていくだろう。娘の私がそばにいれば、母の不自由さを少しは手助けできるかもしれない。いやいや、24時間目いっぱいに活動・仕事している私には、それは無理だろう。どうすればいいのだろう。堂々めぐりに考えあぐねながら、母のケアハウスや病院へと行き来した。

多分、徐々に老いて、徐々に手助けが必要な人には、周りの人たちのちょっとした気遣い、配慮、手助けで行動できるし、自分のやりたいことや人の役に立つことなどもできるのではないだろうか。多分、人は、人の役に立つことで自分を確認できるのではなかろうか。そして、その役に立つやり方は、人それぞれに違う。

自分の生活環境や条件、志向性、能力に合わせて、自分なりの納得の中で、人と人との関係の中で、生きがいを見出し、暮らしを作っていくのではないか。老いるということは、身体の不自由さは増すが、今までの人生経験を生かす範囲が拡がることではないだろうか。他人からの手助けがより必要になるが、その分、違う形でお返しができる。お返しの仕方をたくさん持つことができるのではないか。

▼元気なまちへ

誰もが年をとるが、どんな風に自分が老いていくか、誰も予測がつかない。人生をまっとうして、満足しながらこの世とさよならしたいのだと、誰もが思っているだろう。

老人医療費の増大や、介護の増加など、高齢化について、マイナスのイメージばかりが言われているが、本来、長寿は喜ばしいことだ。高齢化、けっこうなことだ、より住みよいまち、社会にしていくためにぜひ老人(高齢者)パワーを生かしてもらいたいとの、為政者からのメッセージがあって然るべきだと私は思う。

高齢者が元気で生き生きと暮らしている街では、子どもたちも安心して伸びやかに育っていけるのではないか。そんな街にしていくには、何が必要なのだろうか。

一つの事例として、ふれあい会食の活動がある。公民館に70歳以上の高齢者に来てもらい、一緒にご飯を食べる。皆に喜んでもらえるよう、ボランティアの人たちがせっせと料理に励み、手作りのあたたかいヘルシー料理を味わい、おしゃべりする。ちょっとした健康遊びをやったり、誕生月の人にお花をプレゼントしたり。

いつもの日常の延長上の人との付き合いのなごみがありながら、ハレの日の高揚感もある。そんな場が街のあちこちにできれば、街のコミュニティ作りにもなっていく。独りではない、誰かとつながっている。それはお互い様の関係なのだということが、地域の中で暮らし続ける上で必要だと思う。

さまざまな地域福祉と言われる施策は、そうしたコミュニティなしには施策たりえない。さいたま市でも、2006年3月に「第3期高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画」が策定されたが、こうした計画が絵に描いた餅にならずに、実行されていくには街中のコミュニティ作りが鍵になる。

仕掛けを作っても、土壌がなければ仕掛けは生きてこない。だから土壌の耕しが必要なのだが、それは、市民一人ひとりにかかっている。市民が自主的自発的に動いて、街をよくしていくために・地域福祉を進めていくために、行政がどれだけ、サポート体制をとれているか、必要な情報を発信できているかが、高齢者福祉政策の鍵になるのだと思う。

▼さいたま市の高齢化状況
高齢化率(65歳以上の人口に占める割合)2005年15.4%(全国平均19.9%)→2015年推計21.5%(全国平均26%)

 

■2007年1月14日【子どもが伸びやかに育つ街へ】

いじめ、小中学生の自殺、虐待死…毎日、この言葉が新聞に載らない日はない。折しも、教育基本法の「改正」が衆議院を通った。野党の欠席のまま。タウンミーティングでのやらせ質問、質問者への謝礼(これは税金からの支出だ)が出ていることも発覚した。

大人の世界で、本音と建前の使い分け、弱肉強食、いじめがあるのだから、子どもたちの世界でも、弱い子や皆と違う子を排除し、自尊心を傷つけ、居場所を奪っていく、そんなことがあっても不思議ではない。子どもは社会を映し出している。いじめは昔もあっただろう。人は一人では生きられない。誰かの支えが誰でも必要だ。自分の居場所があって初めて生きることができる。

女性が子どもを産まなくなっている。一人の女性が一生のうちで産む子どもの数=合計特殊出生率が1.25だという。埼玉県、さいたま市は、この全国平均よりももっと低い、1.18だとか。少子化対策が言われて久しいが、今の社会では、産まない選択をしても仕方がないかもしれない。女性が、結婚してもしてなくても、妊娠したら子どもを産みたくなるような社会。出産を楽しみに心待ちにできる社会。働きながら、出産し、子育てが安心してできて楽しめる社会。こんな社会だったら、出生率は上がるのはまちがいない。

何が必要なのだろうか。エンゼルプランや次世代育成支援プランなどなど、国=厚労省が方策を示しても効果は上がっていない。多分、社会全体の問題なのだろう。厚労省だけでない、国全体の問題なのだろう。そして、それは国のみでなく、私たちが住む街全体の問題でもある。子どもを産み育てたくなるような街にしていくにはどうしたらいいのか。子どもが慈しまれる街にするにはどうすればいいのか。

さいたま市にも「子ども・子育て希望(ゆめ)プラン」があり、子育てするならさいたま市と、子育て支援の事業に力を入れている。ただ、それらがどれだけ、実効性をあげているのか。少なくとも、保育所や学童保育に入所を希望しても入れない状況を解消しなければ、プランやキャッチフレーズは絵に描いた餅になってしまう。同時に、いじめや虐待という、人間の尊厳をおとしめることを生じさせないようにしなければならない。

子どもが伸びやかに育っていける街は、他の人も伸びやかに生活できるだろう。何か困ったことや理不尽なことが起きても、誰かが手助けしてくれる。お互い様の関係で、もたれ合わずにやれることをやる。そんな関係が街の中にできていたら、誰もがもっと生きやすくなると思う。行政の子育て支援事業は、そうした精神に裏打ちされたものでなければならない。

 

■2007年1月6日【理想をかたちにしていくには 総務常任委員会鳥取県視察で、片山知事と面談】

9月定例市議会が終わると、常任委員会の行政視察がスケジュールに入ってくる。さいたま市議会の常任委員会は、総務、教育市民、環境経済、保健福祉、都市開発、建設と6つ設置されていて、それぞれの分野ごとに委員会で議案を審査して採決する。議員はどこかの委員会に所属して、議案の質疑や採決をしたり、議案外質問をして行政(執行部)側の姿勢をただすのが一つの仕事だ。議員の見識とか判断力とかが問われるし、執行部側の説明を追認するだけでは議員の職責を十分に果たしているとは言えない。だから不断に知識を吸収したり、情報を得たりと勉強しなければならない。

その一つが視察で、同じ規模の市や先進的な取り組みをしている自治体に行って、説明を聞いたり、現場を見学したりするのが慣わしになっている。視察で得たものを自分の自治体の施策や政策に反映するのが、視察の目的ということになる。というわけで、今年度私が所属している総務常任委員会の視察の話になる。なぜ、この話かというと、鳥取県の片山知事との面談がなかなか刺激的だったから。

片山知事は、新聞や雑誌に載っている写真よりも若くて、発する言葉には説得力があった。知事は面談で開口一番、「なぜ議員の皆さんと会うのか。それは分権時代の現在、自治体の判断権は最終的には議会にあるからで、首長が自治体の決定に責任を持つのは当然だが、議会も同様の責任を持っている。首長と議会とは馴れ合わず、互いに緊張感をもって二輪車で行かなければ、これからの自治体運営はできない~」というような趣旨のことを言われた。

総務常任委員会委員12名、執行部職員1名、議会事務局職員2名の計15名の視察メンバーは、はなから刺激を受けて話に引き込まれた。片山知事は、道州制への見解や県の産業政策、公共事業のあり方などなど、持論を展開されたが、私にとって一番刺激的だったのは、議会と知事との関係だった。知事は、議会への根回しをせず、議場で論戦をする。これからの時代は、自治体の規模より質を問題にしなければならない、そのためには透明性を徹底して高める、情報もつまびらかでなければならない、そのことでチェックがきくようになると言われた。

県の予算や決算が県民にわかりやすくするには、予算の査定、作成過程もすべてホームページ上で公開している。職員組合との交渉過程もすべて公開しているという。さいたま市もそこまで情報の公開を徹底すれば、絶対、市のレベルがいろいろな面で上がるのだろうなぁと思う。自治体の自治は、自ら治めることを意味しているが、市民が自ら判断するには、そのもとになる情報が必要だ。

片山知事の言われるように、情報がつまびらかにならないと自治の力は発揮できない。建前ではどこの自治体も、わがさいたま市も情報の公開は言われている。しかし、実際には鳥取県ほどあからさまに市民に情報は公開されていないし、行政の説明責任も十分に果たされているとは言えない。

さいたま市議会でも、もっとわかりやすい予算書、決算書にというのはたびたび言われている。私も言っているし、私の所属している無所属の会も主張している。予算や決算の審査をするのに、予算書や決算書だけ見ても判断できないのが現実だ。

鳥取県の取り組み、片山知事の姿勢をすごいなと思ったのは、理屈では当たり前でもなかなか着手できないことを実際に行なっていることだ。議会改革や市政改革での基本は、情報の公開を徹底して進めていくことだということを改めて再認識したので、これからの追求課題だ。片山知事は、議場での知事発言、議会答弁に責任を持つ意味から、答弁後のフォローをホームページ上で公開しているという。自分の言ったことに責任を持つ。これもなかなかできるようでできない。大体、議会答弁は「研究します」とか「検討します」という言い方になる。あいまいさを残しているのが一般的。答弁後、どのように研究されたのか、検討されたのか、提言は実施に移されたのかは、議員側が追跡検証しないと明らかになってこない。議会は住民代表である首長と議員との議論の場でもある。自治体の意思決定の場だ。議会が言論の府と言われるゆえんだ。

そして、発言に責任を持つと言うのも至極当たり前の理屈だが、責任の持ち方・現し方にもレベルがあるのだな、というのがよくわかった。視察時に配られた資料に「地方自治職員研修」という月刊誌の「鳥取県で進む議会活性化」という記事のコピーがあった。議会に諮る案件への議会側からの修正や、議員発議による条例制定を積極的に発言している片山知事の姿勢を述べている。実際に鳥取県議会は、知事提案議案の修正・対案、決議や議員提出議案条例などの数は多いし、議会の一般質問する議員の数も多い。議会は活発に議論されいるのだと思う。

面談時冒頭の知事の発言「議会の責任を問う」姿勢は、知事就任当時から一貫している。議会と首長が政治利害や政治力学で対立するのでなく、論戦で、公開の議場で議論によって合意形成をはかるやり方が、本来健全なのだ。県民、市民の利益にも寄与することになるのだ。自治体は国政と違って、議院内閣制ではない。だから、本来、与党とか野党とかの関係付けはおかしいのだ。二元代表制である首長と議会の関係が、教科書的に実行されれば、議会の機能は飛躍的に高まると思う。議員一人ひとりの責任がより明確に問われてくるし、議会全体の力量も上がる。議会に求められている役割は、チェック機能と政策提案機能の十分な発揮にある。そうすることで、有権者への責任、市民生活向上への議会の責任もよりよい形で果たされていくのだと思う。議会会派ごとの利害でなく、議会全体が首長と緊張関係をもって、議会の意思を出していくことこそが、私の考える議会改革・議会活性化なのだが、そのイメージに片山知事の発言がリンクされて、刺激を受けた。

そして、もう一つ、刺激を受けたのが、あて職である外郭団体の長を片山知事は返上したということ。自治体が出資して運営している外郭団体は、公共的な仕事を担っている。現在は指定管理者となって自治体と協定を結び、自治体からの業務を引き受けている別組織の団体だ。そのトップに自治体の首長がなることが多い。

2004年2月議会で、初めて予算特別委員会が設置され、その委員に私がなったとき、総務関係の予算審査で、市から補助金交付金を受けている外郭団体の代表に市長がなっていることへの質問に執行部の答弁が出ず、質疑が一時ストップしたことを思い出した。市長が代表になっている団体に、市長が補助金や交付金を出すのはおかしい、と今でも思っている。片山知事が長を返上した理由は、知事の職責をまっとうするには、外郭団体の長まで引き受ける余裕がない、ということで、そうだろうなと納得。

鳥取県への視察テーマは、片山知事との面談の他に、トータルコスト予算分析についてと行政経営推進課の業務についてがあって、そちらも、担当セクションの職員から率直で忌憚のない意見を聞くことができた。行政がどこに顔を向けて仕事をしているか。中央省庁か、県民かを考えさせられた。職責をまっとうするには不断の努力と知恵と創意工夫が道を拓く。そんな感想を持った。時間がいくつあっても足りないだろうな。県政(さいたま市にとっては市政)は、これで完了!いい!ということはない。

(ちなみに、鳥取県の人口は60万人。さいたま市の人口は119万人。面積は、鳥取県はさいたま市の16倍もある。議員数は鳥取県議会は38人、さいたま市は現在71人。)

 

■2005年8月11日【??だらけの解散・総選挙】

衆議院の選挙が決まったのですね。8月30日公示、9月11日投票。あっという間の国政選挙です。小泉首相のやり方、おかしいです。

参議院で否決されたから衆議院を解散する。衆議院で仮に小泉自民が勝っても、また参議院にかけるのですか?参議院はこけにされているのも同然ですね。郵政民営化法案に反対したら「造反」になるというのも、おかしい。 国会議員はそれぞれ、自分の良識、政治信念に従って国会という議決機関で、国民の代表として法案に一票を投じるわけで、「造反」でも何でもない。議会制民主主義の当然のルールに則った行為です。しかも同じ党員同士を選挙区でぶつけ合わせる。政策の一つが合わない党員を排除する。政党の私物化ですね。

小泉首相はこの選挙を、郵政民営化の信を問う、と言ってますが、郵政民営化の是非を問うだけだったら、選挙をやる必要はないと思います。直接投票をすればいいのです。その制度がいまなければ、つくる努力をするのが政治家としての責務の果し方です。政治はショーじゃないし、賭け事でもない。国民の生活を守るのが政治の役目です。その方法論として、議会が存在しているはずです。だから政治家が責を負うのは、有権者に対してです。自分の「政治信念」だけが正しい、自分が「法」であるかのような小泉さんの手法は、マスコミでも言われているように、強権です。民主主義と相容れないものだと、私は思います。

情けないのは、そうした首相に唯々諾々と従っている人たち。お先棒をかついで、知ったかぶり風にしゃべるテレビのコメンテーターもうさんくさいです。選挙で、いくら良いこと、口当たりの良いことを言ってもそれを有権者が信じられないのは、国民の生活よりも、「政治家の利害」でしか政治をやらない政治家が多いからです。感覚でわかります。議員は確かにうかってなんぼで、選挙に勝たなければ有権者への公約を果せません。(私も市議会議員の端くれですから候補者心理はよくわかります)

今回の「郵政踏み絵」国会で、解散(選挙)をおどしに使われ、悩みながらも自分の政治信念と反した賛否の表決をした国会議員もいたといいます。有権者からすると納得いかないし、何を信じればいいんだ、となりますよね。私たち有権者が候補者をちゃんと見抜かないといけないのです。が、困りますね、票を入れたい候補者がいない。今の選挙制度は民意をどれだけ反映できているのでしょう??もっと、候補者への選択肢を拡げられる選挙制度にしないと、多様な民意は反映できないのでは?

今回の国政選挙、争点は郵政民営化是か非かじゃない。と私は思います。争点を決めるのは有権者です。私は、郵政民営化の是非だけで投票しません。これからの私たち、子、孫たちが安心して暮らせる社会に向けた政策かどうか、そして候補者への信頼度を総合的にみて投票します。「有権者置き去り選挙」ですけどね。この選挙を行うにあたって、どれだけの税金が経費として投入されるのでしょうか?費用対効果からみて、選挙によってどれだけ政治が、国民の生活がよくなるのでしょうか?医療や福祉など安心して暮らせる基盤整備や情報公開、行政の説明責任がどれだけ進むのでしょうか?

??ばかりの国政選挙です。でも、棄権はだめですね。

 

■2005年2月11日【えがりて浦和記録誌への原稿「女性問題は人権問題である」】

標記のことばを旧浦和市の職員の口から聴いたのは、何年前になるのでしょうか。

旧浦和市の市議会で、私が初めて議員として活動を始めたのは1991年(平成3年)でした。その頃は、婦人問題の担当職員は婦人係一人。婦人問題懇談会という市長の私的諮問機関があって、市に対していくつかの提言を出していました。私はその提言書を見せて欲しいと要求しましたが、拒否されました。結局見せてはもらいましたが、書き写しはいいが、コピーはだめと言われ、書き写し始めたのですが、だんだん腹がたってきて書くのをやめた記憶があります。

当然のことながら、このことを議会でとりあげました。そして、(市長が女性政策の課を新設すると言っていたので)課の新設にあたっては、懇談会を審議会に改組し、委員も公募の市民をいれるべきではないかと、一般質問しました(91年12月議会)。翌年の92年(平成4年)に課に相当する女性政策推進室ができ、審議会も要綱でなく条例設置で、女性政策推進協議会(審議会)が設置され、浦和市初の市民公募委員も誕生しました。現在では情報公開制度もあり、審議会等の傍聴もできるし、会議録も公開され、審議会に市民公募の委員が入ることも当たり前になりました。市の基本的政策や重要施策の計画策定過程において、市民の意見を反映させる仕組みのパブリックコメント制度もできています。

おおげさな言い方になりますが、十数年前のことを思い出すと、よく進歩したなぁと感無量になります。当時の浦和市議会は44名の議員で、その内女性は3人(共産党2、無所属1=私)です。少なかったですね。女性政策(いまは男女共同参画と言われてますが)が、市の政策の中で居場所が与えられ始めたこともあり、女性問題を女性政策として取り上げる議員は、私ぐらいしかいませんでしたので、議会での一般質問では毎回取り上げていました。

女性職員のお茶汲みの廃止、女性行動計画、女性センターなど、現在はどれも当たり前になっていますが、当時はどれも新しい市の行政課題で、ルーチンワークの行政の事務で対応できるものではありませんでした。女性政策を市の行政課題として取り上げていくには、縦割りでなく横割りで、他の部局・所管の事業をチェックしていかなければなりません。担当になった職員は、苦労したのではないかと思います。

旧浦和市の女性行動計画である「うらわ男女平等推進プラン」が、95年(平成7年)1月に策定され、男女共同参画がまちづくりの重要課題であることが市として明確化されました。このプランには、女性に関する施策・事業が網羅され、ランクづけがされており、進捗状況のチェックと実効性の担保がされています。私はこのプランを読み込む中で、浦和のまちづくりや、他の行政施策の状況などをかなり学ばされた気がします。

浦和市が3市合併によりさいたま市となり、「さいたま市男女共同参画のまちづくりプラン」が策定され(04年3月)、女性政策も定着してきているようです。ジェンダーフリーに対するバッシングやバックラッシュ(揺り戻し)などが、起きていますが、私は大きな流れとしては、男女共同参画の流れは進んでいくと思っています。ある種のイデオロギーで男女平等(共同参画)を止めようとしても、社会的経済的な時代の流れは、男も女も共に・平等に社会に参画していくことなくして進歩できないところにきているのだと思っていますので。

とはいえ、女性の参画状況、社会的地位はまだ低く、女性自身が力をつけるエンパワーメントをもっと発揮していかないと、社会構造はなかなか変わっていくことはないでしょう。私自身で言えば、現在は女性政策そのものを運動として取り上げ活動しているわけではありません。私の現在の議員活動は、今までの活動・運動、議会での取り組みの上に立っているものですし、さいたま市政をより市民自身のものとする協働の追求は、男女共同参画ともつながっていると思っています。活動のステージは変わっていきます。女性の力がさまざまな場で発揮でき、男女共同参画や平等を敢えて口にしなくてもすむような社会にしていきたいですね。

「女性問題は男性問題でもあり、人権問題でもあると聴いて、女性政策の何たるかが分かりました」と、前述の職員の方が言っていました。人権という視点で他の政策課題も見ていくと、共通する行政課題も見えてくると思います。

 

■2005年1月5日【2005年そえのの抱負】

一日明けたら、世の中がバラ色になっていた、などということはないので、いつも努力することが大事だし、節目節目で思い新たに、事に取り組む姿勢を再確認することが大切なのでしょうね。私の今年の抱負は、

1.マイペースで進む。

今年の市政は、岩槻市との合併、市長選、浦和区の市議補欠選挙とあり、政治的な関係性が変化するかもしれません。受身にならざるをえないのですが、状況に振り回されずに、自分をきちんと持って事に対処したいと思います。

2.自分なりの楽しみを見出す。

一人住まいになりましたし、息子たちや孫、母と、離れていても家族への想い、愛情は変わらないし、より心配したりします。そんなとき、やじろべえが真っ直ぐ立てるようになるには、自分なりに楽しむ世界を持っているかだと思います。さて、楽しみは何か?私の楽しみは、苦労してやり遂げたときの達成感なので、楽しみを味わうには苦労をしなければならず、困ります。趣味は音楽を聴くことぐらい。音楽を聴きながら、作業にいそしむことになるでしょう。

3.スケジュール管理をしっかりやって、計画的に取り組めるようにする。

B型ですので、どうしても行き当たりばったりで、その場その時、いいと思うと後先考えずにやってしまいがちなので、一呼吸おいて考え、それからやるかやらないか決めるようにします。

4.地域課題、運動課題、市民生活課題、議会・市政上の課題等々…さまざまな課題に対して、よりきちんと対応する。

持ち込まれた課題に対して対応するのも大事ですが、それだけでなく、自分なりの積極性をもって、課題の解決に当たるようにしたいです。そのためには何が必要か?何をしなければならないか?少なくとも、そえの自身で、そえのの活動を常にまとめていくこと、だと思っています。

5.人を信じる、一人ひとりの理性、良心を信じることを自分の行動の柱にする。

議会では自分のポリシーが問われます。何かの時に、ナチのホロコーストで自分を犠牲にして子どもたちを救ったユダヤ人のコルベ神父を思い浮かべます。私はそこまではできないけど、自分の良心・自分の声を聴くようにしています。自分の良心に照らして、どうかと。現実の関係性の中で同じ志をもつ人とどう結びつくき、社会を変えて行く力とするかが課題ですね。人は人に喜ばれて幸せになる、と思います。その仕組みをどう作っていくか。これは政治家の原点だと思うのですが。

6.元気は自分でつくる。

健康管理も含めて、自分の至らなさも素直に認めて、前に進むこと。面白そうなことには躊躇しないでやってみる。笑うと免疫力がアップするんですって、と聞いてすぐ笑えるのは、単純な性格?いまは中断している太極拳、やりたいですね。時間との勝負ですが。

7.ホームページに写真を載せるようにする。

昨年、試みたのですが途中でストップしているので、これも時間との兼ね合いですが、今年の課題です。

 

■2003年5月21日【さいたま市議会選挙後、初の議会。議会運営のあり方を考える】

▼時間をもっと有効に使いたい議会の運営

選挙後初めての議会がありました。議長、副議長の選挙、議席の決定、6つの常任委員会への議員の所属決定、議会運営委員、監査委員等の選任など、今年一年間の議会活動をしていく上での役割分担を決める議会です。(ちなみに、議長とか、競馬組合や競艇組合、監査委員、農業委員などのポストは会派の大きさ順で割り当てられているので、改選前の大会派はポスト互助会と揶揄されていたそう。無所属の一人会派にはこうしたポストはまわってこない。議場の席順も大会派で古参議員は後部に、新人議員や少数会派、無所属は前の方という慣例がある)

議長選挙がスムーズにいけば、早めに帰れる臨時議会でしたが、そうはいきませんでした。選挙違反で、当選議員から三人も逮捕者が出たことについて議会の態度をどうするのか、をめぐって延々と時間が費やされました。十時に開会し、午後二時前に休憩に入り、再開が夜中の零時五分。そして閉会は午前二時近くでした。(一日間の会期予定が、午前零時を少しでも越えて日付が変わると二日間の会期となり、これに伴う経費もかかってくる!)

十時間もの間、議会で出す決議の案文について各会派間で調整したり、代表者会議や議会運営委員会が断続的に開かれたりしました。こうした動きに直接関与してない議員は、情報を聞いたりして待つのみ。いつ会議が再開されるかわからないので、議会棟を離れられません。職員も同じで、延々と議会の動きに付き合わざるをえません。もっと実務・調整能力をアップして、合理的にできないものかと痛感します。今後の課題です。

▼議員一人一人の態度を公表することが議会を変えるベース

あの激戦だった選挙も終わり、当選した人、落選した人の明暗が分かれました。私は、浦和区でビリでしたが当選できました。本当にありがとうございました。感謝です!草の根で、ボランティアで、クリーンに選挙がたたかえました。応援してくれた人たちや、一票を投じてくれた市民の方たちの期待が生かされるよう、一生懸命に議員活動をしていこうと、思いを新たにしています。

当面は、一人の無所属で議会活動をしていきます。(会派はその後の状況判断)。有権者は議員個人を選んだのであって、会派を選んだわけではありません。一人一人の議員の政治姿勢と責任が、会派の決定に解消されることなく、議員個々人がどのような態度をとったのか、きちんと市民に伝えられる仕組み作りが必要です。私はまず自分自身で納得できて、行動できる立場から議員活動を行い、議会改革していこうと思っています。

▼選挙違反は候補者だけの問題ではないのでは?

四月一日から政令市になって、選挙は行政区ごとに行われ、一票入れたい候補者がいない、という嘆きも聞こえました。候補者だった私からすると、棄権などもったいない話です。でも、票の取りまとめを金でやりとりするようなことは絶対にしたくない。これは当り前のことだと思うのです。おごってもらったり、贈り物をもらったり、というのは日常生活の親しい人間関係では、当然あることなのですが、ここに票をもらいたいという下心があると、「魚心あれば水心」のごとく、結果として票をお金でやりとりしても、候補者も有権者もさほど疑問を持つことなく過ぎてしまう面があるのではないでしょうか。

確かに、選挙はお金がかかります。かばん(お金)、看板(組織)、地盤(地縁、血縁)がないと当選はおぼつかないと言われています。まして、今回の選挙は、一〇〇人から六四人に定数が減り、尚かつ行政区ごとに定数が五人~十人と少数となり、地域代表的な色合いが濃い選挙でした。私のような組織を持たない、金もない、政策を訴えることに主眼をおいた無所属・市民派にとっては、非常に厳しいものでした。

いわゆる保守系の候補者にとっても、別の意味で(確実な票をいかに積み上げられるか)厳しかったのでしょう。一票に託す意思が民意の反映となるのが、選挙です。私は、投票権は人権と同じくらい、大事な権利だと思っています。(だから投票したい候補者がいないというのは悲劇です)

選挙違反は確かに悪い。候補者がまず第一に責を負うべきですが、それがまかり通っている政治風土も変えないと、同じことの繰り返しになります。あなた任せにしない、自分できちんと考えて責任をもって行動する、こういうことがもっと当り前にならないと、欲得勘定の延長で選挙違反が繰り返されるのでは?

▼議会の決議

三人の逮捕者のうち一人からは議会当日に辞職願いが出されました。逮捕された議員(二人)のすみやかな出処進退を求めた「政治倫理の確立をめざす決議」(案)は全会一致で可決、個人名を出した「辞職を求める決議」(案)は、賛成少数で否決でした。私は、前者は賛成、後者は反対しました。

さいたま市議会には政治倫理規程があり、「議員は政治的又は道義的な責任を問われるような行為をしてはならない。議員がこの規程に反する行為を行った場合は、辞職を勧告することができる」と規定されています。選挙違反で逮捕されたこと自体、不名誉なことです。新聞報道で言われていることが事実であるなら、有権者への責任をとって辞職すべきだと思います。ただ、議会としての決議となると、逮捕=辞職勧告では拙速で、危ういのではないか。議会としての事実確認を行うのが先ではないのか。

警察の捜査と新聞報道を是認するなら、辞職勧告でいいのでしょうが…。どちらにしても、この問題は、逮捕された議員だけの問題ではないと思いますし、政治家と特定企業との癒着、金がらみの政治を変えていくきっかけにしていかなければと思います。それには、やはり政治の透明性を確保すること、行政の説明責任と情報公開を徹底させることが基本でしょう。風通しのいい、誰にでもわかりやすい市政をいかにつくっていくのかにかかってくると思うのです。

▼人のせいにしないで自分にできることをする

私は、十二年前に浦和市議会議員に当選し、二期八年間議員活動を行い、四年前に落選したのですが、この四年の間に三市が合併し、さいたま市になりました。合併して違う市になると選挙があるのは常識なのですが、合併推進の国の方針で、議員の在任特例というアメがあります。選挙をしないで二年間議員の身分を保証するというものです。ですから、今回の合併後、初の選挙とはいっても、現職の議員の期数は二期目となり、私の場合は一期目になります。なんか変だなと思います。ともあれ、議会に送っていただいたのですから、悔いのない議員活動をするつもりです。

当選後、いろいろな相談や頼みがきました。道路の件が一番多くて、それからマンション問題、介護保険のこと、公園、保健室、学童保育のことなどです。虹の会の市との話し合いにも同席しました。定例議会は、二月、六月、九月、十二月に開かれ、一般質問で市政の状況を質したり、政策提案をします。常任委員会では今年度は、環境・経済委員会に属するので、その関係の市の執行状況について質していくことになります。

一つ一つ真摯に課題を取り上げ、もっと住みよい制度にするには?と頭を悩ませ、動いて結果を出していきたいと思っています。さいたま市で自治が根付いて皆が生きやすい方向に、自分も他人も社会も変わっていく手ごたえを味わいたい、というのが私の望みです。

 

■2002年8月31日【さいたま市男女共同参画推進協議会の提言に対する意見】

男女共生推進課さま

日頃より、さいたま市の男女平等の推進につきまして、ご尽力いただいていること、市民として感謝申し上げます。さいたま市男女共同参画推進協議会からの提言への意見募集がありましたので、締め切り間際ですが、以下のように意見を送らせていただきます。 添野ふみ子

「男女共同参画基本条例は、協議会の提言を生かして」

提言書を読みました。一市民として、女性として、とても嬉しくなる、期待の持てる内容です。

1.名称について

「You&Me夢」Vol.3に矢澤推進協議会会長が述べられているように「さいたま市男女共同参画まちづくり条例」としてください。条例は、理念だけでなく、実効性ある、効果を発揮できるものでなければ意味がありません。まちづくりという言葉には、市民と行政が共にまちをつくるパートナーシップ、市民参画による自治という内容が表現されています。名称にまちづくりを入れることは、さいたま市の男女平等推進にかける姿勢を明確にします。

2.人権尊重を必ず明記してください。

女性も男性も、人格を持った人間です。女性であることによる差別、男女格差は、現在も厳として存在しています。直接差別もそうですが、間接差別も、男女共同参画を阻んでいます。人として生きる権利をお互いに認め合うことで、男も女も共にこの社会で平等な関係が築いていけます。

3.(当然のことながら)固定的な性別役割分担見直し・解消を明記してください。

女だから、男だからという前に、人間としてどうなのか、という至極当り前の問いがあります。戦前、女性には参政権がありませんでした。一個の社会的人間として、扱われていませんでした。人権ともからみますが。性別役割分担意識によって、女性の生き方が限定されていました。現在も、そうした固定的役割分担意識は、あらゆる生活レベルに存在し、慣行となって、女性の生き方を縛り、能力の発揮を阻んでいます。

また、男性にとっても、付与される男らしさに縛られています。男性も女性も人間として、その人らしさを発揮し、多様な生き方を選択できる社会が誰にとっても好ましいことは、当然です。男はこうあるべきもの(男らしさ)、女はこうあるべきもの(女らしさ)を前提にしての男女共同参画は、共同参画とよべませんし、共同参画には成っていきません。

共同参画は、お互いが平等で対等に認め合わなければ、多様な生き方を認め合わなければ、成りえないからです。固定的性別役割分担意識の見直し・解消と、制度、慣行の見直しは、この条例のポイントですので、ぜひ、提言の趣旨からはずれないようにしてください。

4.積極的是正措置、性別による権利侵害の禁止、苦情の処理は、はずせません。

いずれも、この条例が実効性を保てるかどうかの規定です。さいたま市が本当に、男女共同参画のまちをつくろうとしているのかどうかは、どれだけ条例に実効性が担保されているかにかかっています。

いぜんとして低い、女性の参画状況を変えること。性別による人権侵害、女性への暴力、セクシャルハラスメント、差別的取扱いについて明確に禁止を規定することは、救済のみならず、防止的効果もあります。苦情処理規定は、実際の問題解決のために欠かせない規定です。

5.家庭、学校、地域などへの男女の対等な参画、男女の経済的自立と対等な働き方ができるまちづくりの規定もはずさないでください。

男女が共に対等に、一方が一方に犠牲や上下・主従関係を強いることなく、利益も責任も分かち合えるまちになれば、どれだけこのまちが生き生きしてくることでしょう。

以上、5点について要望意見いたします。

提言書を読ませていただき、協議会の委員の方々、とりわけ起草委員9名の方々のご努力と熱意に市民として、心からの拍手を贈らせていただきます。特に、9名のうち、7名が市民公募委員さんたちであったこと、提言書を見て知りました。

文字通り、市民参画のたまもので、この提言書がつくられたのだと思います。会長の矢澤澄子さんのリーダ-シップと、従来からのご努力もあってのことだと思います。行政、担当セクションの職員の方々もご苦労されたと推察いたします。

この提言書の精神、趣旨、内容が変更されることなく、さいたま市男女共同参画まちづくり条例として、制定されることを願ってやみません。

 

■2002年8月29日【さいたま市男女共同参画まちづくり条例に対して、友人たちに送った文章】

さいたま市男女共同参画推進協議会が、5月に出した男女共同参画基本条例への提言書が、バックラッシュの波にさらされているそうなのです。

さいたま市男女共同参画推進協議会(審議会)(会長は、矢澤澄子東京女子大教授)が「さいたま市における男女共同参画社会の実現を促進するための基本条例はいかにあるべきか」という諮問にこたえて、「提言」を答申して、いま、市民からの意見募集中です。締め切りは、8月31日(消印有効)。

「You&Me夢」という、さいたま市男女共同参画社会情報誌(8月初めに配布されています)に、この提言のダイジェストが載っています。女性も男性も、互いにその人権を尊重し、性別にとらわれることなく、その個性と能力を十分に発揮できるまちをつくる、という視点に貫かれたいい提言です。

「You&Me夢」を見てもらえればわかりますが、男女が平等であり、直接・間接を問わず性別による差別を受けることなく、個人としてその人権が尊重されるまち。女性に対する暴力やセクシャアル・ハラスメントがないまち。女だから男だからという性別による固定的な役割分担意識に基づく社会における制度や慣行が見直され、互いに対等で多様な生き方が選択できるまち。~等々、積極的是正措置や、性別による権利侵害の禁止、苦情の申し出・処理規定、施策の年次報告規定など。

とにかく、条例が単にお題目でなく、実際にこのさいたま市で実効性が発揮できるよう考えられた提言内容になっています。この条例を根拠にして、さいたま市内の女性の状況を是正していくための活動ができます。協議会の委員構成も、23名の委員のうち7名が市民公募委員で、協議会の会議も公開で傍聴自由、提言の起草委員9名のうち、7名はこの市民委員がなっていて、文字通り、手作りで提言を作ったことがよくわかります。

ここまでできたのは、会長の矢澤澄子さんの力がすごく寄与していると思います。前に、私が市議(1991年~1999年)だったとき、当時、遅れていた浦和の女性政策が画期的に変わりました。浦和で初めて審議会に市民公募の委員を取り入れたのも、矢澤さんが会長をつとめていた女性政策推進協議会でした。

その協議会の提言に沿って、浦和市の女性行動計画「うらわ男女平等推進プラン」ができ(1995年)、市のあらゆる施策のなかに男女平等、男女の性別役割分担見直しの視点が入ったのです。

その象徴的なものとして、従来女性職員がやっていた(やらされていた)お茶汲みが見直され、廃止になりました。こうしたいままでの実績のもとで、今回のさいたま市の男女共同参画推進条例へのとりくみが、市の政策として違和感なく、とても評価される、市民と行政のパートナーシップの具体化として出てきていると思います。

それがですね。今回、問題になっているのは、こうした男女平等への流れを止めて、逆行させる動きが全国的にあるようで、さいたま市でも、性別役割分担見直しとんでもない、ジェンダーフリー教育とんでもない、「男らしさ女らしさを一方的に否定することなく男女の特性を認め合い、互いにその人格と役割を認める」(宇部市の男女共同参画推進条例)という主張と動きがあります。

こうしたバックラッシュともいうべき、男は仕事(外)、女は家事育児(内)の性別役割分担社会への逆行の主張と動きで、現在、協議会が答申した提言の内容が条例に生かされず、骨抜きにされる恐れが現実化しています。

埼玉大学の長谷川三千子教授という人が、産経新聞7月26日号「正論」に「怖るべき法規制の網ではないか男女共同参画社会基本法の正体」という文章を書いています。この方は、さいたま市の男女共同参画推進協議会の委員になっている方で、協議会でも、ジェンダーフリー教育阻止、人権という非常に奇妙なことば(?!)を使うのは問題、…等々の主張をされているそうです。

長谷川教授は、産経新聞の「正論」で、全国各地の住民が、稀代の悪法(?!男女共同参画社会基本法のこと)を食い止めるべき最後の防波堤を築くのだという自覚をもって、県や市町村に声を届けようとよびかけています。さいたま市議会でも、生方議員がジェンダーフリー教育を取り上げ、異論を唱えたそうです。

組織的かどうかしりませんが、こうした長谷川教授の主張に応じるような意見が、けっこう市の男女共生推進課に寄せられているようです。新しい歴史教科所をつくる会の動きとも呼応しているのかも。このまま黙っていては、男女平等、人権尊重に反するさいたま市の条例ができてしまうかもしれません。

それで、長くなりましたが、ぜひ、さいたま市男女共同参画推進協議会の提言を生かした条例を制定すべきという、市民の意見を8月31日までにさいたま市に寄せてほしいのです。

▼参考HP
世界人権宣言(AT-FOX)国連憲章前文(AT-FOX)