カタツムリ!

*只今、にじ屋では、提供品大募集中です。
にじ屋がやっている間も(持ち込み)も大歓迎です。
自分たちは、にじ屋中(仲町・高砂・岸町・別所・鹿手袋)ビラを1日600枚ぐらい配っています。
今、(岸町・高砂・別所・鹿手袋・仲町)あたりから電話が掛かってきています。

品物があれば、お客さんが来て楽しく買い物ができます。
沢山かってくれると、自分たちにも、勢いが出てにじ屋1日が楽しく終わる。
今、平日より、土・日の方が持ち込むが増えています。
1日20件ぐらいの量です。
ネットには、品物が沢山あり、月曜日のしわけが大変。
色々色々な品物があっていいな~~。

*今週も新たに1週間始まりました。

★俺の知っているバザー!
にじ屋が始まる前、自分たちはバザーを毎月してました。
昔しからのバザーは、売り上げが上げないと、給料がでないようになっていました。
別所沼公園、与野公園、銅公園、八王子公園らで、毎月のようにやっていました。
俺か、ひろがいた時代バザーで、ステージを作りたいとか、言って作った時もありました。
ひろが別所沼公園(ドリフターズのズンドコぶし)やりたいと言い、俺が鐘塚公園で、(ソーラー節)をしたいから、ネットで夜遅くまで踊りの練習をしたりしました。(にじ屋敷)ならぬ、ゲーム縁日もやったのも、鐘塚公園が始まりです。

俺が入る前には、バザーで車イス講習会、キグルミをきてきてくれたお客さんを楽しませる事もしてました。
もちろん、模擬店もやっていました。
ビラもくばり、捨てかンもはり、兎に角、バザー当時の朝は、夜中の3時に現地に集まり売り場づくりしたり、品物だしたり大忙しでした。
10時にバザー開始したら並んでいるお客さんがいっきに品物に集まり大慌て。
沢山の学生さんに手伝いを呼んできてもらったりしていました。
俺もバザー当時、半分(お手伝いさん)だったので、よく分かった居なかった。
しかも、まだ当然、1人暮らしなんかしてなかったので実家からバザーの開場まで通っていました。
もちろん、亘平とか、オグとか居なかったので、俺も回収に行きました。
番長と、外さん、冨澤さんともいったりきよくが有りました。
あの時代の俺は17歳、18歳ぐらいでとっても若ったきがします。
バザーがあったから、今のにじ屋があります。
バザーを知っているのは、1期生(角、俺、陽子)この3人しか知らない。
こば、みつはなんとなく知っている感じかな?
こば、みつは、にじ屋(1号店 大久保店)
にじ屋(2号店 栄和店)から!
今の倉庫になってからかな?
バザーが無かったらにじ屋が無かったっと思います。