遊びに来て下さった方とか、にじ屋を手伝いに来て下さった方とか、虹の会と関わった方から「虹の会の人たちは温かい」という言葉をもらうことがあります。
実は私、この「温かい」という言葉にいつもちょっと違和感を覚えるのです。
その言葉をかけてくださった方、個人への反感ではありません。
悪気など絶対にないでしょうし、きっと誉めていただいているので、喜ぶべきところなんでしょう。
でも引っかかるのです。
だから心から「ありがとう」と言えなくて、私はいつも中途半端な笑顔を浮かべることになってしまう。
ずっとモヤモヤしていたのですが、今、機関紙用にとある文章を書いていて、そのヒントらしきものを見つけました。
同じような言葉で「障害者に優しくしましょう」というのがあります。
これは明らかに引っかかるんですよね。
なんで「障害者」という枠組みで取り出して「優しくしましょう」と言うのか。
別に、全人類に優しくしたらいいじゃないですか。
引っかかるのは、その言葉の裏に、「障害者は可哀想な人」「自分とは違う人」という特別視が見えるからですね。
しかも、「優しくしましょう」って、明らかに自分の方が立場が上で障害者が下。
ずっと昔の話になりますけど。
虹の会はずっと身体障害者中心の団体でした。今から10年ちょっと前に初めて知的障害者が来ました。
それがツノです。
ツノが学校の実習で虹の会に来たときのこと。
彼は、最終日に「実習が終わるのがイヤだ」と言って泣きました。
「目にゴミが入ったとかで涙を流すのは見たことがあったけど、感情で泣いたのは初めて見たかもしれない」とは親御さんの言葉。
数年して、ミツが実習に来ました。
彼は、「今すぐ学校を辞めて虹の会で働く」と言い出しました。
まあ、虹の会は逃げないから学校は卒業しといたら?ということで卒業してから晴れて職員となったわけですが。
ツノもミツも、「優しくされたから、温かくされたから、虹の会にいたい」と思ったわけではないと思うんですよね。
優しさや温かさがあったとしても、それが「アナタが障害者だから」ではないことを感じたから、だと思うんですよね。
つまり、障害者だからと特別扱い「されなかった」ことが彼らに響いたのだと思うのです。
障害のあるなし関係なく、「普通に」いられたからだと思うのです。
ミツは他の作業所の実習にも行ってるんですけど、その作業所のことを「職員がジャージだったからイヤだった」と言ったそうで。
ジャージ。
作業所職員のトレードマークみたいなもんです。
ミツはそのジャージに、障害者と健体者の線引きを痛烈に感じたんでしょう。
ふむ。。。
頭から読み返してみたけど途中ずいぶん説明不足ですね。
でも説明しようと思ったら膨大な文章量になる予感がするので、不足の分はまた今度(笑)。
で。
何がヒントだったかというと。
「障害者に優しい」という言葉に、私がすごく敏感であるということに気づいたわけです。それが「イヤだ」という強烈な感情と共に。
だから、虹の会に対して「優しいですね」「温かいですね」と言われると、すぐ「イヤだ」という感情がムクムクと湧いてくる。
別にその言葉を発した方が「障害者に対して」と言っているわけじゃなかったとしても、そこにつながってしまう。
もうちょっとフラットに話を聞いたらいいよ、私、と思ったのでした。
カズミ