虹の会機関紙「SSCにじ」10月号より転載
資格研修ざっくばらんに感想言いっ放す。
10/7(土)、介助派遣システムの臨時総会と、その後、研修感想会をほんびぃで行った。
文責:外口
【臨時総会】
障害者理事辞任、健体者理事就任
臨時総会は、先月号でお伝えしたように運動体である虹の会と事業体である介助派遣システムを分けて考えて、障害者がただの利用者となって制
度であったり社会に文句を言っていく、そのために代表を含めて障害者の理事3名が辞任ということになった。
加納さんは事業体としてを考えるシステム会議に利用者として出席していて、会議のメンバーとなる新田さんと内藤さん、すず、外口がシステム
の新たな理事となった。
ここで、思い切って形から変えてみる。そして、障害者が障害者としての権利を訴え続け、地域であたりまえに暮らす社会に変えていきたい。
【研修感想会】
資格を取る研修を受けてみた
介助派遣システムの監査で、ひと言にまとめると、資格を取らなければお金は出さないという話があった。監査のことについては正式なモノがま
だ出ていないので細かいことは省きますが、この資格については、以前に機関紙で見解をお伝えしたように、資格を取って資格に反対していくとい
うことに運動の方向転換をしていた。
しかし、実際に資格のことで動く前に市から話が出てしまったので、監査のこと引っくるめていろいろな感情があるけれど、やるならここでひと
月で全員資格を取り終わるということで、8月中、3日間の重度訪問研修を介助者、専従が3ヶ所の研修事業所に分かれてできるだけ早く行けると
ころに受けにいっていた。
予定通り8月中に研修が終わって、この機会に研修を受けてそれぞれが感じたことを他の介助者ともに共有できる場を作ろうと、システム臨時総
会の後、研修感想会を行った。
当日、17名が参加し、ざっくばらんに研修で感じたことを言い合った。司会のすずが、「自己紹介も兼ねて『好きな食べ物』を言ってもらっ
て」ということもありつつ。
今につながる障害者運動
感想を聞くと、これまで介助をやっていたのもあって、資格を取るためとはいえあまり研修を受けたくないなと思っていた人が多かった。また、
虹の会の介助との違いがあって、ところどころ引っ掛かる言葉だったり内容だったりがあったよう。
重度訪問研修をやっているところで実質的に埼玉県内で行けそうな所は3ヶ所で、カリキュラムは同じでも講義の内容は違っていた。その中で
も、「こんちくしょう」の映画を教材にして障害者運動を伝えようとしていたのはよかった、という感想があった。
この「こんちくしょう」は、制度がなく座敷牢か施設でしかなかった時代に、青い芝の会だったり重度障害者が家を出て地域で生活をすることを
実現した記録で、2007年から2008年にかけて全国各地で上映運動が行われていた。
亡くなってしまったけれど金子さんが言っていた川崎バス闘争だったりマハラバだったり、映像やインタビューではまさに障害者が地域であたり
まえに暮らすということを訴えていた。障害者運動を直に聞く機会が減ってきている中で、言葉で言われるより映像で見た方がリアルに伝わってく
る。
もう1つの所では講義で障害者運動を話しているのが健体者で、障害者運動をやってきていない人が喋っている感じがして、これは今の社会その
ままに障害者と健体者の立っている場所の違いが出ていた、という感想もあった。
その後に障害当事者が講師で出てきて、「介助の時はこれを気を付けてください」と1つ1つ説明していた。言っていることは合っているのかも
しれないけれど、「気をつけてください」ということで、介助者に先回りをさせて障害者の生活のことに責任を持たせるということになってしまう
んじゃないだろうか。
教材としてCIL系の団体の介助者の心構えが書いてあったりして、なるほどと思うこともあったけれど、「気持ちに寄り添う」とか「危なくな
いように」みたいなことが書いてあって、これは先回りして動くお世話になってしまうんじゃないか、という感想もあった。
研修内容や法からはみ出る現場
重度訪問研修は、2日間の座学と現場実習1日の計3日で資格が取れる。この2日間の座学では障害者運動から介助の心構え、喀痰吸引の基礎知
識的なこと等、次から次へと内容が移っていく。
でも、それが全部頭に入るわけでもなく、実感として掴めないところもあったよう。普段の生活の中では障害者のこととか知らないことが多く
て、にじ屋に遊びにいったり機関紙を読んだりして知ったような気になったところがあったけれど、介助をやるようになってそれだけじゃないもの
が圧倒的にあると感じている、という感想があった。
研修の内容は想像がつく範囲であったし、「寄り添う」というのはそうかもしれないけれど、でも実際に介助をやるとそれだけじゃすまないこと
が新たに出てくる、と。
喀痰吸引の研修で講師と少し話をすることができて、現場には法律の中で収まらないことがあるということで共感できた、という感想も。実際、
以前は看護師から指導を受けて資格無しで吸引をやることができた。工藤さんがそうやって気管切開をしてもいつも通りに地域で暮らしていたし、
形式的には家族の同意を得て家族の代わりに介助者が吸引をするということになるけれど、実際には工藤さんは家を出て介助者を使って一人で暮ら
していたので、工藤さんの指示に基づいて他の介助と同じように介助者が吸引をやっていた。だから、吸引も普通にそこにあったというか。
「自分自身が人工呼吸器を付けなきゃいけないっ言われたら、人工呼吸器を付けるか付けないか」と質問されて自分は手を挙げたけれど、毎回9
割の人が付けないってなるようで、「そんなに人様に迷惑かけてまで人工呼吸器を付けたくない」という理由らしい。9割にも驚いたし理由にも驚
いた、という感想もあった。
研修という利権
研修を受けるには3日間で3万円くらいのお金が掛かる。今回はシステムが負担したけれど、3万円と思うと…。実際、これまで介助をやってい
たのでできるし、今更の研修を受けても、という感想もあった。
研修費3万円ってことから考えると、福祉を利権構造の中に入れるための1つの方法が研修ということにもなる。福祉だけじゃなくて、資格と
なったら検定とかでいくらか取られる。そこには省庁の利権が絡んできて、制度ということで言えば中身よりもこっちの方が重要なんじゃないかと
思ったりする、という感想も。どんどん増えていく資格ビズネス、利権と言われると妙に納得する部分があったりして、誰が得をしているんだ…?
介助は、本来、本人が信頼できる人に介助してもらえばいいだけで、吸引も家族だったらできるというのはそういうことでもある。それをわざわ
ざ資格取らないとできないことにするというのは、どういうことなのか。
逆に家族はやっていいというのは、例えば不衛生だったとしてもやっていいということで。障害者本人が嫌でも、「じゃあ、やらない」って家族
が言ったら障害者は死ぬしかないわけで、声を上げられないし、障害者が声を上げても…ということで、そもそもが障害者を馬鹿にした話なんじゃ
ないか。
別にいいから 全部言うから
教員を目指している本勝君は、障害者のことや福祉のこととか大学の授業で少し聞いていたようだけれど、実際に羽富の介助に入るようになっ
て、行ってみたら思ってたのと全然違ったらしい。もっと大変でいろいろ考えなきゃいけないことが多いのかなと思っていたけれど、羽富は羽富で
自由にやっているし、介助も指示されたことをやってということだったので、待機の時もひっくるめて楽な気持ちで介助ができている、と。
病院とか施設だと縛られながら生きてるように思っていたので、羽富のことを「本当に自由に生きているんだな」と思ったと。でも、それが普通
なんだろうし、介助者を使いながら自分で生きているし、介助に入って羽富の生活に携わってそんなことを思った、と。
羽富が好きなことやって、「それをやって」と言われたことをやるのが介助であって、そういう介助だからやれるということがある。介助者が責
任を持たないということが、すごく大事だと思う。
例えば、加納さんの介助をするって言った時に料理が得意な人がいて苦手な人がいて、時には失敗する時もあって。だからって介助者が料理を勉
強するっていうことじゃなくて、あくまでもその加納さんが指示したことをやる。むしろ「できないかもしれない」っていうことで介助は成り立っ
てるようにも思える。
「料理苦手なんです」という人が来ても、「そんなの別にいいから。全部言うから」があって、それがあったから介助ができたしこれまでやって
これた、という感想も。
守る 守られたくない
虹の会は制度に合わせて生活していくのではなくて、一人一人の生活があって、その生活に制度を引っ張ってきたり交渉して新たに制度を作らせ
てきたりとやってきた。実際、地域で暮らすためには24時間介助が必要であって、制度として足りない時でも40年前にはボランティアで24時
間を埋めたり、バザーでお金を作って人を雇ったりしながら、そしてその実績を市に訴えながらこれまで24時間介助をずっと続けてきた。
国の制度が変わったりもあって、介助料の低さという問題はあったけれど、実情に合っていたのはこの24時間の重度訪問だった。でも重度訪問
という制度が必要ということではなくて、何の制度であっても加納さんや松沢さん、羽富がそれぞれ必要な24時間、若しくはそれ以上の介助を保
障しろ、ということでしかないのですが。
そういう中で研修を受けてみたら、重度訪問介護というように、研修で描いてる対象が、気管切開して痰吸引を家でしながら暮らしているという
人だったり、すごく障害が重いけれど家で暮らしてる人だから介助者がその人の命を守ってあげなければいけない、ということを求められている資
格だった。
講師の話で医療的ケアということでALSの人の話がよく出てきていたけれど、虹の会には去年亡くなってしまったけれども樋口さんがいた。樋
口さんは40代ぐらいまで普通に子育てしてバリバリ働いて、急に小指が動かなくなったと思ったらだんだん体も動かなくなって、それでも「施設
に入りたくない」「ずっと人にいられるのも嫌だ」「トイレとお風呂だけやってくれる」と、虹の会の介助を使うようになった。
その頃はそれこそ資格も誰もない状態で介助をやっていて、樋口さんは自分のしたいことを言って介助者を使って家で生活していた。「退院して
家で過ごしたら、すぐ死んじゃうよ」って言われてたのに、そこから20年も過ぎていた。
障害者が指示して、介助者は指示されたことをやる。失敗したりもあるけれど、その失敗は介助者ではなく指示をした自分の責任と覚悟して樋口
さんたちは介助者を使って地域で暮らしてきた。自分はそういう障害者の樋口さんやかおるさん、松沢さんに育てられてきた、という感想があっ
た。
障害者の権利かサービスか
今回の重度訪問研修はお世話する視点しか感じなかった。自分が苦しいってなった時に、加納さんはすぐに「ちょっと来て」と言えるけれど、声
が出ないとか意思表示ができないとか、介助者側が命の機器を管理しなければいけないような人を想定した研修になっていると思った、と。
介助の経験があればそういう想定なんだとわかるけれど、これから介助を始める人がこの研修の内容を聞いて、障害を持っていてもどういうこと
をしたくて地域で暮らそうとしているのかということを想像できなかったら、「完璧にお世話しなければいけない」「私のせいで死なせるわけには
いかない」っていうことを学んで研修を終わることになるのかもしれない。
「本人の意思が大事」と言って、「だから聞いてください」「確認してください」と言っていたけれど、でもそれは障害者の権利を根拠にしてい
るのではなくて、障害を持った人に気持ちよくサービスを受けてもらうということであって、本人から、家族からクレームが来ないようにするため
のようで。
本人に確認、家族に確認、本人が拒否したら家族に確認。あくまでも、サービスを遂行するためにはどうするか。遂行できなかったらどうする
か。家族も介助者がちゃんとやっているのか見ているから、トラブルや苦情回避のための一種のマニュアルのように思えてくる、と。
研修の中で向いているのは障害者本人じゃなくて、苦情が来ないように確認を怠らないということ。例えば、吸引する時には介助者は指示書の有
効期限が切れてないかを確認。虹の会だと指示書は羽富が確認すればいいわけだけれど、誰が確認するかによって責任がどっちにあるのかというこ
とにもなる。
だから、普段の介助の中でもこの確認1つで障害者に自分の生活の責任を取らせなくすることになるので、介助者は介助者で敏感にならなきゃい
けないところでもある。サービスという視点だったらこういう考え方になるのだろうけれど、それはそれでお客さんに満足して頂いたということに
なるのだろうけれど、自分たちはそこには立っていないんだなと思う。
不完全というところに立っている介助者と、完璧の上に立とうとする資格と、いろいろな視点からいろいろなことを考えさせられる。
勉強になったところもあったけれど
2日目の喀痰吸引とかの実習は、「利用者さんに声掛けをしましょう」とか、一般的に想像する介護みたいな内容だった。胃ろうとかは全くやっ
たことがなかったので、そこは勉強になった、という感想があった。
実際に障害者の服を着替えたりもして、力の入れ方みたいな部分は普段の介助に活かせるなって思うところはあったけれど、介助は障害や一人一
人によって違うので、実際には聞きながらやるっていうことでしかなく。逆に加納さんとかが介助者の体のことがわからないだろうし、こうした方
が腰がラクだよとか、そういったところを勉強できたらいいのかも。
喀痰吸引の実習も、人間の体じゃカニューレが気管にどう入っているのかが見えないから、図解であったりマネキンであったりとかで構造が確認
できたのはよかった、という感想も。マネキンは羽富の家にもあるから、羽富がマネキンを使って説明をすればいいと思うんだけれど。
実際に車椅子に乗ってみた人もいた。虹の会でも、コロナ前に車椅子講習会をやったりしていたけれど、これはこれで車椅子に座ってみる、移動
してみるということでわかることもある。でも、車椅子を押している介助者が「通りまーす」と言わなきゃいけないっていうのは、口も目も耳も手
も奪われて押す人に身を任せなきゃいけない感じになって、座っていてすごく居心地が悪かった、と。
40年前はあきえさんに「無理やり突っ込め」と言われていたようで、待っていたらいつまでも行けないし、むしろ「危ない!」と思って周りの
人たちが一歩下がるという時代だったよう。
差別する社会が作った資格
地域で暮らすということでグループホームを作るところがあるけれど、グループホーム自体は小さな施設でしかない。障害者の介助ということで
は同じようにトイレもお風呂も着替えもやっているのに、こっちは資格は要らないらしい。どうしてなんだろうか。
結局は責任をどこにするかという話で、1対1なら介助者に資格を取らせて、集団ならサービスなんとか責任者を配置して責任を取らせる。だか
ら、障害当事者にどういう介助が必要かということでの研修ではなくて、誰に責任を取らせるかというところでの資格、研修ということではないだ
ろうか。
研修のカリキュラムは決まっていて、その中でどこに重きを置いて何を伝えるのか。それによって研修事業所ごとに教材や内容が違ってくるけれ
ど、どこも介助という仕事を続けてもらいたいということでは同じ。介助の仕事というのは素晴らしいということを、いろんな角度から言っている
ようにも思える。
介助者の面接をした時に、「介助の仕事は素晴らしい」とそこまで押し出したりはしていない。でも、介助は創造的な仕事ではないけれど、介助
者は「障害者が地域であたりまえに暮らせる社会」に変えていく一人、と話したりすることがある。
もし虹の会で研修をやるとしたら…と考えたりもするけれど、やるとなったらほぼ運動の話なんだろうな。そして介助については、「障害者から
指示されたことをやってください」で済む。カリキュラムが決まっているからこれで資格の研修ができるかどうかわからないけれど、障害者がこれ
まで生きてきた歴史があって今の介助、資格に対する考え方につながっているから、障害者運動から学ぶ。
これから介助をやる人、障害者に関わるのが初めてという人がこの研修を受けることになる。その入り口として、今回の重度訪問研修の内容でい
いのだろうか。この内容で、これからの人に何を伝えようとしているのだろうか。障害者の権利や差別されている状況を踏まえたモノになっている
のだろうか。
これまでの障害者を差別する社会を作ってきた国が、人たちがこの研修のカリキュラムを考えたわけで、それでは資格化された介助を使って社会
を変えていくことはできないのではないだろうか。
障害者が家や施設ではなく、地域に出てあたりまえに暮らせるようにするには、この資格、研修でいいのだろうか。
了