虹の会機関紙「SSCにじ」2月号より転載。
ミツ&イノウエから未来の後輩へ③番外編
井上&ミツから「一緒に働く障害者の後輩が欲しい」という話があり、先々月号から始まったこのコーナー。
今回は、井上たちの生活の中で、もっともウチが他と違うと思われるところ、「親を運営に入れない」ということについて、どういう意味があるのか、虹の会評議委員会が以下に声明を発表します。
ちなみに障害者生活ネットワークうらわ(通称「ネット」)は、「地域活動支援センター」です。制度がそうなったとき、ネットをむりやり制度の枠に当てはめてみたらそれだった、という感じ。地域活動支援センターをやりたくてそうしたわけではなく、ネットはネットをやりたい。いつでも。(編*さとう&ぶ組)
「運営に親を入れない」ということの意味
虹の会評議委員会
一般的に作業所的なことを考えると、けっこう親御さんが活躍していたりします。
知的障害者の通う学校などでは、親御さんに、親御さんのネットワークに参加して行ける作業所を見つけてくださいみたいなこととか言われたりもするという話を聞いた。
ウチの場合、親御さんがにじ屋に来たりすることはありません。活躍することもない。
親から離れて暮らしている人たちが多いから、まあそもそも親御さんが出てくる機会もない。
【親を運営に入れない】
にじ屋をどうするか、にじ屋をどう回していくか、今度の旅行でどこに行こうか、みんなで飲み会をしたいがいつどこでやるか?そういった仕事のことから遊びのことまで、それを決めるのは会議で、そこには親御さんを入れない、ということを我々は決めています。
親御さんが入ると、「そんなに大変だったらうちの子はいいです」とかになりがちだし、必要以上に親御さんの「ありがとうございます」に、名誉欲が刺激されて彼ら自身に目が向かなくなる、ということもよくある光景かと思います。
にじ屋という自分たちの店をどうするか、という論議は、彼ら自身が会議で決めるべきだと思うし、そこに親御さんが入る必要がそもそもない。旅行しかり、どこに行きたいかは自分たちで決めればいい。
【蚊帳の外】
「本人はキチンと言えない」というような思い込みで、親御さんが入ってきて職員と話している、という状況は、彼ら自身に「蚊帳の外」を植え付けてしまう。
自分のコトが自分の上で、自分をスルーして話がされている、というのは屈辱的なことです。
「明日病院なので休みます」ということを親と職員が話して本人が話さなくていい、というのは、どんどん彼らを自分からなにも言わなくていいんだ、と理解させてしまう。
そうなれば、自分の予定も、自分の身体のことですら彼らは放棄するようになっていく。
ウチでは連絡帳もありません。
アレは、親と職員の会話そのものだからです。
「でもこの子は喋れないから」というのはあると思います。だとしても、方法はいくらでもあるような気がします。
時に例えば「医者に行った時に医者に聞くこと」というようなことがあった場合、紙に書いて持たせたりすることがあります。「これを見せなさい、そして医者の説明を聞いてきなさい」ということですね。
話すのが難しくても、あなたの身体のことだから、あなたが聞きなさい、と。
まあ、もちろん同行しているこっちサイドの誰かが一緒に聞いてはいるのだけれど、それでも「主役はあなたです」「あなたの身体はあなたが守るんです」ということを伝えたい。
同じように、連絡帳がなかったら困るじゃないですか、という意見については、例えばそれはメールでもいいんですよね。彼ら自身にそれを持たせること自体が彼らを侮辱しているような気がします。連絡が必要であるならば、なにも彼らの目に触れない方法はあると思います。
そういう連絡は我々もやってないわけではない。
けれども、それを彼らの目に触れさせない、トップシークレットである、ということを徹底しています。
【異物が入ると仲間が作れない】
ウチは「仲間」という言葉をよく使うのだけれど、イチマルやイノウエが仲間になるためには、親御さんがいるとちょっとうまくいかない、ということもあります。
例えばですが、誰かが噛みついたとします。そこに親御さんがいたら、まず噛んだ子の親が噛まれた子の親に謝るんですよね。
ま、そうなります。
そうなると、彼らが謝ったり、謝罪を受け入れたり、ということをさせなくても済んでしまう感じが出てきてしまう。
彼ら自身が仲間になろう、仲間の作り方だったり、謝り方だったりを学ばせる機会を奪ってしまうんです。
例えば休みの日に一緒にどっかに出かけようと彼ら同士で約束をしたりすることがありますが、それはなにも親が知ってる必要はないワケです。
そこで集合時間に遅れたりいろいろあるかもしれないけど、それはそれでいいわけです。そういう失敗をさせることが仲間を作っていく場合に必要なんです。
親が子どもの予定を全部把握していて、友だちも把握していて、友だちの親も把握している、という状況は、健全だとは思えません。
そうじゃなくて、彼ら同士の力、仲間を作る力を信じることが必要なのではないかと思います。
そもそも、子どもにとって親は異物です。
子ども同士で遊んでいて、親がそこに入ってくると急に白けたりすることって誰しも経験があるかと思いますが、異物が入ればそれまでやってたバカ騒ぎができなくなる、というような。
彼らの仲間力を大切にするのなら、親御さんはそこにいない方がいいと思います。
【一生面倒をみる】
知的障害者といわれる子が生まれれば、親は一生面倒をみる覚悟をしなければならない、というのが今の日本の社会です。
親が力尽きて施設に入れる、ということもあるかと思うけど、そこでは自由が奪われての集団生活が待っている。どこかそれは罰ゲームのようにも思えます。親がめんどう見ないんだからしょうがない、とでもいうような。
新聞などで知的障害者が活躍しました的な記事が載ったりすることがありますが、たいがいの場合、親御さんとセットです。そうやって、親御さんががんばらなければ活躍する道がない、とでもいうような感じ。もっといえば、それは付き合える財力あってのことで、全ての親がそうやって付き合えるわけじゃない。
そうやって「親とセット」が認識されてしまっている社会は、やっぱり「誰もが生きやすいか」と言われれば違うような気がします。
スーパー猛毒ちんどんというバンドもやっていますが、親御さんには見に来ないようにいってもいます。たいがいライブもワンマンなんかだと満員になってしまうわけで、親御さんの席まではありません、という現実問題もありますし、そもそも親に見せる発表会をやってるわけじゃない。
ま、今は動画とかも見れますから、そちらで見ていただければ、とも思ったり。
【イチマルのこと】
イチマルの親御さんによれば、イチマルは「絶対に実家を出ることはないだろう」と思っていたそうです。
「どこの施設に入れられても、オレは電車のことはなんでもわかるから(時刻表がアタマに入っているような性格)必ず家に帰ってくるから」と言っていたらしい。
最初の頃は実家から通っていたわけですが、超スピードで家に帰る感じで。飲み会があっても終わったらすぐ帰る。みんなでディズニーランドに行った帰り、舞浜駅に集まる時間ももどかしく、一人で走ってみんなと違うホームに行ってしまう。カラオケをやって、時間が遅くなっちゃったから「井上の家(その頃から親から離れて暮らしていた)に泊まれば?」と言っても、絶対に首を縦に振らない。
何があっても帰る。
実家大好き人間だったのがイチマルでした。
しかし、親御さんも一生懸命仕向けてくれて、例えば障害者手帳を落とした、どうにかして!と親に言っても、親は「外口さんか誰かに頼みなさいな」と言ってくれて。
カラオケに行ったり、ストリップに行ったり、色々していく中で、彼は「仲間の大切さ」に気づいていきました。
そうこうしている間に、朝、家を出るときに「このズボンカッコ悪くない?」と親御さんに聞いたことがあったそうで、それまで服なんかどうでもいい、というイチマルが始めて外見を気にしたと。
仲間にカッコ悪いズボンは見せたくない、みたいな気持ちが芽生えたのか。
いや、「仲間」というものが、どんどん彼の中に入っていったのだと思います。
【入院どうする?】
イチマルのことで決定的だったのは、一度彼は入院したことがありまして。手術が必要、と。
手術自体はそんなに難しいモノではなく、無事に終わるだろうことはわかっていたのですが、どこに入院するか?と。実家の近くの病院にするか、こっちの近くの病院にするか、ということになりまして。まあ、どこでも大丈夫な病気だったのです。
その時に、イチマルはこっちの近くの病院を選びました。
「みんながお見舞いに来てくれるから」と。
このあたりから、彼は目に見えて変わっていきました。
カイがいろいろあって実家にいられなくなり、こっちの一部屋で暮らさなきゃならない感じになった時も、「カイと一緒に泊まっていってよ」というと、「わかった」と快諾してくれるようになりました。
そして、じゃあもう家から出て暮らそう、ということになって今に至ります。
一生自分たちがこの家でめんどうを見続けなければならない、と思っていた親御さんにとって、この変化はビックリするようなことだったと思います。
今やなんだかよくわからないけど「実家に帰らない宣言」までしてしまっていて、ずいぶん変わったなあ、と。
それで不安定になることもなく、むしろ毎日をエンジョイしているように見えます。
【大切なこと】
イチマルが実家から出られたことも重要だとは思いますが、同時に彼は「仲間」を獲得したんだと思います。親御さんしかいない世界から、彼は仲間がいることに気づき、その中で暮らし、もっと世界を広げた。
親から生まれ、親から離れて世界を広げ、今度は親になる、というのが人間の営みだと思います。人間のDNAにはそう書かれているといってもいいでしょう。
つまり「知的障害者を一生めんどう見なければならない」というのは、それに反しています。
そうじゃなくて、もっと広い世界を、もっと楽しい世界に翼を広げていくことが彼らには必要だと思っています。
毎朝親から預かり、夕方に親に返す、のではなく、親から離れ仲間を作っていく環境、を私たちはイノウエたちと共に作りたい。
じゃなければ、そもそも親の「持ち物である」という彼らの立場はずっと変わらない。
それはとても悲しいことだと思います。
【知的障害者は意見を持っていないのか】
そもそも、知的障害者が学校を卒業した後に企業に勤めたり、作業所を選んだりということがありますが、その中で自分らしい暮らしが出来ればいいですが、それには受け身であったらそれは実現できません。
というようなことを書くと、「知的障害者にそんなことは無理だ」という風に思ってしまう人が多いのかもしれない。
関係者の中にも、「彼らは三歳児と同じだ」と言い切る人もいます。だから、幼稚園のような扱いでいいのだ、と。
しかし、そもそも差別をなくすということが、同じ年齢の人たちと同じことができることである、というコトを考えたとき、少なくとも彼ら30歳の人を「三歳と同じ」と切って捨てることがあってはならない。
そもそも、オグラが入所施設から出てきてここに来たとき、何も言えなかった。自分の意思というモノを彼から感じることがなかった。
それでも、君の気持ちは?と繰り返し聞いていくことで、やっと彼も某かを言えるようになってきた。
何度も書きますが、彼らの上空で、職員同士が、親と職員が、親同士が彼ら自身のことを話して完結してしまっている状況では、やはり彼らは腐る。「どうせ俺はなにも言わなくてもいいのだ」という諦めを彼らは受け入れてしまう。
「職員の馬鹿野郎!」「クソババア」とキチンとそこで反抗してくれればいいが、なかなかそれは親やこちらの助けがなければ上手く表現できない。それを出させないで、「どうせオレは何もしなくていい」という状況を続けていれば、そりゃ彼らはなにも言わなくなる。
二次障害などという言葉もあるが、もちろん障害が重くなっていくこともあるんだろうが、「俺は何を言っても関係ない」と自分の人生をあきらめてしまっているようにも俺たちには見える。
これは経験則だけれど、イノウエたちも最初からこんな風に主張が出来たわけではない。特に他から来た人はそれが苦手である。
「全て親に聞いて」というような態度を取ってくることもある。自分の人生なのに、まずそこに関心が持てない。
そんな悲しい状況に置いていたのでは、少なくとも彼らが自分の思いを話す、ということはできないことだけは確かだと思っている。
【大人としての尊厳】
彼らには大人としての尊厳をしっかり持ってもらいたい。「めんどうみてもらう」のではなく、自分の足で。
だから、彼らが大人として屈辱を受けるようなことはさせたくない。
自分のコトが自分が知らないところで決まってしまったり、自分の予定を全て親がコントロールしている、みたいなことを少なくとも「見せたくない」。それを見せ続けてしまえば、やっぱり彼らは「面倒をみてもらう人」に成り下がってしまうと思います。
親はいらない、と言ってるのではないし、親は関係ない、といってるわけでもないんです。
彼らにそれを「見せてはいけない」。
もちろん、だからここに親がいてはならない。
今や携帯やスマホが発達し、いくらでも彼らに「見せない」で連絡を取る方法はあります。
もちろん、人の助けは必要だと思います。
誰しもそうだし、彼らはなおさらそういうところがあると思います。
それはまず、「助けて」と言えることが大事で、そして「助けて」を言う先があるというのがもっと大事なことだと思います。
仲間同士でそれができたら、それはとてもすばらしいことじゃないですか。
「助けて」を言わなくても全部親が把握してしまっていたら、それは彼らの「助けて」を言う力を奪ってしまうような気がします。
どのみち、人の助けを必要としているのだから、自分の力で、方法はなんにしても「助けて」を出せる人になってもらいたい。
それが「自分で生きている」ということじゃないでしょうか。
自立生活なんていいますが、全て自分で出来る必要なんかないし、大事なことは「助けて」を言えることじゃないでしょうか。
そこがとても大事だと思うし、それを自分から発する、というのが自分の人生を自分で生きている、ということではないでしょうか。
君は君の人生を、君の足で、仲間と一緒に笑って過ごす。
単純なことですが、それが実現できたらいいな、と思っています。
(虹の会評議委員会)