虹の会機関紙「SSCにじ」1月号より転載
助けてくれる人が親以外にいるという強み
~特集「障害者募集」第19回~
「地域でひとり暮らしをしたい!」という障害者募集中。このページでは、介助者を使いながらひとり暮らしをしている加納さんやハトミが、その様子や日々思うことなどを連載します。
文:加納友恵
11月の終わりから12月頭にかけてコロナに感染しまして、幸いなことに重症化せずに完治したけれどさすがにかなり焦り右往左往しました。
コロナに限らず病気になると急に心細くなって不安が押し寄せてくるもので、私このまま一人暮らし続けられるかな大丈夫かな、いやいや大丈夫でしょ、といろんな思いが入り混じったりするもので。
日常の生活だとそんなこと思いもしないけれど、隙をつくというのかな、みなさんもそういうことあるかと思います。
私の場合そういえば何年か前に肺炎になって入院した時、さらに何年か前に手術することになり入院した時に、親から実家のそばの病院に入院したらとか退院したら実家でしばらく療養したらと言われたことがありました。
親も悪気があって言ったわけではなくて、本当に心配して言ったのだろうとは思うんですけど。何となくその物言いに引っかかって「絶対に実家には戻らない」と本当は不安だったけどやせ我慢で強く心に誓ったものでした。
今思えばそんなに頑なに突っぱねることもなかったのかもしれませんが、やっぱり何かあったときに頼るのは親しかいないのかとなってしまうのは嫌だなという思いがあって。カッコ悪いじゃん、という思いが強くあって。
「なんで入院するからって実家のそばの病院にしなきゃならないの」とぶっきらぼうに言い返した覚えがあります。親もそれ以上強く言ってこなかったので、私は今住んでいる近くの病院に入院して手術をして無事に退院をして、その間親は1回見舞いに来てくれて顔見て安心して帰っていったんですけど。
そんなに冷たくあしらわないでよ、と時々母に冗談交じりに言われたり、妹たちからも「いつまで反抗期やってるのよ」と言われてしまうこともあるのですが、あえてココは強気に突っぱねていかないと、という場面があると思っているので、お母さんごめん、と思いつつ、大丈夫だから心配しないでと言い放っています。
障害者の場合、何歳になっても最終判断や責任は親がするものと思われてしまっているから。
こうやって書いているとひとりで何もかもやっていてすごいとか強いとか思われちゃうかもしれないけど、そういうことを言いたいのではなくて、親以外の頼れる仲間がいるということを自慢したいのです。例えば病院に行く時とか手続きとか。
病気だけじゃないんだけど、何かあったとき相談できる人、助けてくれる人が、親以外にいるという強み。大人になるとか自立するというのは親以外の頼れる仲間を作っていくことなのだなとコロナで自宅療養しながらぼんやり考えていました。
今回のコロナも症状が落ち着き始めたころ偶然母から電話があって「今コロナなんだよねー」と話したら心配して、後日養命酒を届けてくれたんだけれど。おそらくとても心配ではあったと思うけど、きっと虹の会の人たちに助けてもらって何とかやっているんだろうと、思ってくれていたとおもうんだよね、おそらく。両親がそう思ってくれていたらうれしいなと思っています。 (了)