虹の会機関紙「SSCにじ」10月号より転載
ヘルパー資格に対する運動の「やり方」の転換について その③
虹の会評議委員会
【前回までのまとめ】
ヘルパー資格のことについて、資格を取らない、でやってきていましたが、評議委員会では取る方向で考えている、ということで何回か書いてきました。
これは、運動の大きな転換というより、やり方の転換です。
我々は、ヘルパー、ここでは適宜、介助者とも書きますが、介助者の資格は国家が定めるモノではなく、当事者が決めることだ、と考えています。
これについてはまったく変わりません。
ま、これは誰しもが介助を必要とするようになったと想像したら、そりゃそうだよな、と思うと思います。
来た介助者が自分とあわない、という場合は、チェンジしたい。
そりゃそうかと思います。
先月号で書きましたが、そんなこと言ってると、まあそもそも介助者が回らないわけです(詳しくは先月号を読んで欲しい)。
巨大収容型の施設にしたら、一人一人に「この人でいいかしら?」という総意を取るのは無理です。
同時に、そもそも介助者、一般には介護職の人数は少ない。
だから、チェンジと言われても困るワケですね。
これは単に介護職の待遇が悪いからですが、そこを改善することなく、「だから、国が決めるから」という理屈になってしまっている。
国家が決める、というのは「最低限」と思われていますけれど、現実に起きている窃盗や暴行などの問題は、実際国家の資格があっても起きています。
同時に望まない異性介助が行われている可能性も拭いきれない。
我々はずっと国家資格にこだわらないでやってきましたが、問題は起きていません。
その人と、介助者がしっかりと信頼感の上でやっていく、ということがないがしろにされれば、そりゃ、通帳からお金を引き出しちゃう人もいるだろうな、と思います。
大事なことは、いわゆる介護職といわれる人の待遇をあげること。
福祉に関わる人の待遇をあげることかと思います。
そうやって「なりたい人」を増やせば、そこで競争が起きますから、当然いい人が残る、ということになります。
ヘルパー、介助者の質を上げるというなら、まあそこなんですよね。
資格の徹底とかじゃない。
それがまあ、資本主義の掟です。
【ヘルパー上限を撤廃しますと言われたがその実は?】
そもそも、ヘルパーが使えなかった時期に(週3回18時間という制限があった。実際その上限まで使えている人もいなかった)、我々はボランティアで介助を行っていた(他に、生活保護の他人介護料なども使ったりもした)。
そこではまあ問題がなかったわけです。
ボランティアとはいえ、介助者は当事者が集めてきた学生だったり、いろいろだったが、まあそこでは結果として自らが選んでいたから、資格も何も、問題が起きようがない。
その後、その上限が撤廃されて、いわゆる福祉産業が入ってきて、ヘルパーがやってくるようになった。
が、もちろん、夜間は派遣されないし、ボランティアはほとんど残さなければならなかったが、まあ昼の数時間は来ます、ということになった。
まあ、我々としては、それは使いましょう、と。
別にボランティアにこだわるわけでもないし、本来はきっちり24時間こっちの望むヘルパーが派遣されて生活ができればいいのである。
とはいえ、男性がいないので、前会長の故工藤さんは使えなかったし、まあ徐々に、ということではあるんだろうから、それは仕方ないとしても、男性が増えていくという見込みみたいなモノも提示されず、何の恩恵もなかった。
加えて、ヘルパーの事業所からやってくるヘルパーが、言語障害がある現会長の松沢の言葉を読み取れない、というあたりから、「使えない」ということになっていく。
しかも、なにやらヘルパーの方は数ヶ月?数週間で代わる、ということになっているらしく、そのたびに二時間の派遣時間の全てを「説明に費やす」という事態に陥ることになった。
中には、言語障害がある松沢に「幼稚語」で話してくるようなヘルパーまで登場し、ぶち切れることになる。
いくらなんでもそれは質が低すぎる、と。
いや、でもヘルパーの肩を持つわけじゃないが、言語障害のある人と話すというのは、確かに時間が必要だ。
オレも松沢とたいがい一緒にいた35年前はちょっとでも話がわかったが、最近あまり会話してないところに松沢が来たりするとちょっとわからなかったりする。
つまりは、座学の問題ではなく、経験の問題だ。
しかし、その経験も、謎の「数週間で代わるシステム」によって破綻する。
【ヘルパーの松沢方式派遣】
で、結局はどうにもならず(生活がままならなくなり)、市役所と折衝、市役所とは「松沢が推薦した人をヘルパーとして派遣する」という「推薦登録派遣」という方法で決着をみました。
つまり、それまで来てくれていたボランティアに対価を払う、ということです。
とはいえ、ヘルパー事業所に払う単価よりも安かったと記憶しています。
そこは意味がわかりませんが、まあ生活がこのままでは回らないのでそれで決着しました。
松沢にとっては、資格を持ったヘルパーよりも、そのボランティアの方が「自分に合った」「有能な」介助者だったわけですが、対価が安いとはまったくもってそこは納得がいきませんが、まあ入り口としてそれを飲みました。
蛇足になりますが、この決定は、しかし大きく言えませんでした。
例えばこうやって機関紙に書く、というようなこともしませんでした。
それは、「これは松沢方式で、特例だから、一年黙っていて欲しい」というようなことを市に言われたからです。
結局、翌年には男性がいなくて使えなかった工藤さんにもそれは波及し、その後は多くの人がこの方式で介助者の派遣を得ました。
実際に、ヘルパー派遣が「家事」とか「身体介護」とかに分けられているなかでは、正直、使い勝手が悪い。
決まった時間に同じように家事をするわけではないし、急に出掛けることもある。
このあたり、老人のコトでも同じかもしれないが、特に若い障害者が社会参加をしながら生きていく、ということでは重要な視点になってくる。
そういったことを全てカバーしてきたボランティアの方が、我々としてはどう考えても使い勝手がよかった。
じゃなければ、結局、「●●時迄に戻らないと家事ができないから」というようなことになり、社会生活自体が成り立たない。
今のヘルパー派遣事業の考え方が、いわゆる老人ホームや施設をベースに考えられているところがあり、「障害者は決まった時間に食事をする」みたいな。
でも、そういうわけじゃない。
それって、ただの「地域の施設化」でしかなくて、地域で生きることとは相容れない。
それを飲め、というのは、「障害者なんだから決まった時間に食事してくださいよ」という、どっか差別感満載の話だと思います。
【そして24時間保障しろ、という流れに】
で、24時間介助が必要だったので、(寝返りの介助とかもある)その状態で24時間の派遣を求めていくことになりました。
結果として、当時浦和市ですが、国内でトップレベルの介助料を引き出すことができました。
この時点では、「本人が推薦する人」が介助者、つまりはヘルパーなワケですから、資格の問題は出てきませんでした。
そりゃそうです。
そもそも資格のあるヘルパーがやれない、ということで、この形にしたのですから。
つまり、この時点でも、我々は国家資格がある、コト以上の資格要件を介助者には課してきていたということになります。
【事業所化】
が、それが大きく動くのがヘルパー事業所の参入の感じが広がった、という社会の流れでした。
で、市から打診されたのは、「事業所の要件をなんとか満たしてもらえないか」ということでした。
それで、ヘルパー派遣自体を市がお願いできるから、というわけです。
つまり、特例じゃなくて、他と同じように事業所をやってほしい、ということですね。
これ、まあ後述しますが、今考えれば抵抗すべきところだったんですが、乗ってしまいました。
お金の面のこともありました。
介助者を雇うといっても、緊急対応も必要。
「今日行けない」ではトイレに行けない。
だから、一人雇えばいいというわけじゃないので、介助を安定させるためには金が必要ではありました。
同時に、その時点では、資格の問題を「これまで通りでイケるよね」という暗黙の了解が市とはできあがっていました。
で、法人格を取らなければならなくなり、介助派遣システムをNPO化しました。
虹の会本体を法人化する気はさらさらありませんでしたから、我々としては苦渋の選択ではありましたが、そこを落とし所に、事業所としてスタートすることになったのです。
とはいえ、本来、我々は介助派遣の事業をやりたかったわけじゃない。
単純に、「誰もが共に生きていける社会」「障害故にはじき出されない社会」、そのために「介助者を派遣」してさえくれればよかった。
が、実際に使えるヘルパーが派遣されない状況の中で、推薦登録をやり始め、実際にはそのコントロールまでせざるを得なくなってはいた。
でも、じゃなければ、派遣時間中説明で終わってしまうような、生活がままならないことになってしまう。
かなり板挟みの状況ではありました。
【虹の会は特別でしょ?】
だからこそ、「今思えば」ですが、事業所化すべきじゃなかったかもしれない。
というか、他の方法を模索する必要があったのではないか、と思います。
そうしていたら、果たしてどうなっていたかはわかりませんが、違う道が開けたかもしれません。
それに賭けてみてもよかったかもしれない。
そしてそれに、多くの事業所の中で、我々が「資格はいらない」といったところで、それが通じなくもなっていきました。
資格の問題点、例えば資格の座学で何をやっているか、というようなことについて、他の事業所との協力関係が作れなくなってしまった。
つまり、「虹の会は特別でしょ」で終わってしまう。
JILといった、障害者の自立生活を考える的な全国組織の中でも、我々のように事業所化するところが増えていきましたが、「資格は取らせる」というようなことをどこもいっていました。
「別に取らせちゃえばいいじゃない」「関係ないし」というのが彼らの意見だったと記憶していますが、確かにそうだけれど、資格があるヘルパーが来てダメだから、ってことで推薦登録を得てここまでやってきたのに、それは違うじゃない、と我々は思っていました。
というか、「別に関係ない」というのなら、取らせる必要もないはずじゃないですか。
毎日の中で必要のないことをなぜ介助者にさせるのか?。
そんなこんなもあり、JILとは決別することになりました。
余計に「虹の会は特別だ」「そんなに突っ張ることは無いじゃないか」「お金がもらえて介助者に多く払えるのだから、資格くらい別にどっちでもいい」という風に言われる結果になりました。
何度も書きますが、でも、資格のあるヘルパーが使えなかったから、この状況になったわけじゃないですか。
そこ、大事にしなかったら、なんのための自立生活なんですか?とも問いたい。
自立生活運動の基本的な部分を捨てちゃってませんか?とも思います。
【「地域で障害者が自らの意思で暮らす」ための重要なこと】
資格の問題は先号までに書いたように、多くの人権侵害的な要素を含んでいると我々は考えています。
そんなに簡単に納得していいのか?と。
が、このまま突っ張っていても、この足並みの違い、そして「虹の会は特別」が、どんどん資格の問題を矮小化するような流れになってきていると思っています。
これでは、本来の「資格の問題」がぼやけてしまう。
特別だから、では、やっぱり何も進まない。
「じゃあそれでいいじゃん」といわれればそれまでで、我々が言いたいのは、自分たちがどうだこうだじゃなくて、「介助者の資格を他人が決めている」ということへの意義なのです。
それ自体が、とても差別的で、地域に施設を持ち込むようなやり方じゃないか、ということなのです。
我々は多くの事業所、多くの地域で暮らす障害者の人たちと手をつなぎたい。
そして、資格の問題点を訴えたいのです。
が、実際の資格の研修のことも我々は知らない。
だって、研修を受けてないから。
「そんなことが必要なのですか?」と言いたいが、言えない。
受けてないから。
実際に受けた人から話を聞くと、いろいろと問題があることはわかりますが、結局その先には「でも虹の会は特別だから」になってしまう。
我々は、介助者の資格は本人が決めるべきだと思います。
最終的な形はわかりませんが、「国家資格があるからヨシ」ではやっぱり違うと思います。
つまりですね、「介助者の資格を誰が決めるか?」というのは、「地域で障害者が自らの意思で暮らす」ということにおいて、重要なコトだと我々は思っています。
それは最終的には施設であってもそうなるべきだと思います。
それは何も変わらないのだけれど、資格の問題を突いていくには、いろいろなアプローチも必要。
大きな問題として提起していくにはそれが必要だと思っています。
なので、研修を受け、資格を取ってみようと思います。
「虹の会は特別」じゃなくて、そっちに舵を切ってみようと思うのです。
その中で生まれる問題、生じた疑問を一つ一つ我々は発信していきたい。
その先に、かならず資格問題を大きな問題として提起できる気がしているのです
おわり
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